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特集018 毛利庭園
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特集018 毛利庭園
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庭園の歴史年表
現在の毛利庭園が誕生するまで
生まれ変わる毛利庭園
土地の記憶を失わないために・・・
新たな歴史が始まっています。
毛利庭園に息づく生命たち
毛利庭園の植物図鑑
庭園を彩る植物たち
庭園の歴史年表
−慶安年間(1648〜1652年)
毛利秀元が甲斐守となり、麻布日ヶ窪(現在の六本木六丁目)に上屋敷を設け、江戸の大名屋敷の庭園として誕生。
−元禄15年(1702年)12月
赤穂浪士の討ち入り
−嘉永2年(1849年)
乃木希典日ヶ窪屋敷に誕生
−元治2年(1865年)
堀田相模守日ヶ窪屋敷拝領
−明治20年(1887年)
増島六一郎氏が当地を取得
−大正8年(1919年)4月
「乃木大将誕生地」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受ける
−昭和18年(1943年)3月
「毛利甲斐守邸跡」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受ける
−昭和27年(1952年)
ニッカウヰスキー東京工場となる
−昭和52年
テレビ朝日が当地を取得
−昭和61年(1986年)
東京都が六本木六丁目地区を「再開発誘導地区」に指定
−平成2年(1990年)
再開発準備組合発足
平成7年(1995年)
東京都 都市計画決定告示
(再開発地区計画 第一種市街地再開発事業 他)
平成10年(1998年)
六本木六丁目地区市街地再開発組合設立
−平成12年(2000年)4月
着工
−平成15年(2003年)4月
「六本木ヒルズ」オープン、毛利庭園誕生
庭園の歴史年表
現在の毛利庭園が誕生するまで
江戸期−大名屋敷の庭園として誕生
明治〜大正期−増島六一郎氏が当地を取得
昭和期−ニッカウヰスキー、テレビ朝日が当地を取得
現在−再開発事業による、「毛利庭園」の誕生
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江戸期−大名屋敷の庭園として誕生
延宝年間図「麻布六本木乃付近図」
庭園の歴史は、およそ350年前の江戸時代に遡ります。
慶安3年(1650年)、毛利元就の孫、秀元が甲斐守となり、麻布日ヶ窪の地(現在の六本木六丁目他)に上屋敷を設け、その大名屋敷の庭園として誕生します。
その後、元禄15年(1702年)、吉良邸討ち入り後、赤穂浪士岡島八十右衛門ら10人が毛利家に預けられました(細川、毛利、松平、水野の四家に分けて預けられる)。翌年2月、全員がこの地で武士の本懐を遂げました。
嘉永12年(1849年)、のちに明治時代の陸軍大将となる「乃木希典」が、長府藩上屋敷の侍屋敷に希次の三男として生まれ、幼年期9年をこの「日ヶ窪屋敷」で過ごしました。
元治2年(1865年)、堀田相模守がこの日ヶ窪屋敷を拝領します。
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明治〜大正期−増島六一郎氏が当地を取得
明治16年(1883年)陸軍部東京図(測量原図)より
時代は変わり、明治20年(1887年)、中央大学の創始者であり、弁護士、法学者、法学博士でもあった「増島六一郎」氏(1857〜1948年)が自邸として当地を取得し、その庭園を「芳暉園」と名付けました。
大正8年(1919年)4月、「乃木大将誕生地」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます。
昭和初期の増島邸
全景
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昭和期−ニッカウヰスキー、テレビ朝日が当地を取得
年に1回桜の時期に近所の人たちに開放され、たくさんの人でにぎわいました(1989年4月当時のニッカ池)
ニッカ池の桜(伊藤照彦写真集「六本木六丁目残影」より)
昭和18年3月、「毛利甲斐守邸跡」として旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます。昭和27年3月にはニッカウヰスキーの東京工場となり、昭和52年には、テレビ朝日が当地を取得。池はニッカ池と通称されていました。
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現在−再開発事業による、「毛利庭園」の誕生
再開発前の六本木六丁目付近
その後、平成10年に六本木六丁目地区市街地再開発組合が設立され、平成12年4月に、再開発事業の着工。 平成15年4月に「六本木ヒルズ」がオープンし、現在の「毛利庭園」として誕生しました。
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